先々月『厭離穢土 欣求浄土』という言葉を紹介させていただきました。今川義元が織田信長に桶狭間の合戦で敗れたとき、今川方についていた徳川家康は命からがら先祖代々の墓がある岡崎の大樹寺に逃げ帰るわけですが、そこで大樹寺の住職に『戦をする意味』を問われ、『武士の名誉の為』と答えます。すると住職は『それではこのあたりの盗賊と何の違いもない。世の平和のために・・・・・・
詳しくは、2006-12.pdf をご覧下さい。
先々月『厭離穢土 欣求浄土』という言葉を紹介させていただきました。今川義元が織田信長に桶狭間の合戦で敗れたとき、今川方についていた徳川家康は命からがら先祖代々の墓がある岡崎の大樹寺に逃げ帰るわけですが、そこで大樹寺の住職に『戦をする意味』を問われ、『武士の名誉の為』と答えます。すると住職は『それではこのあたりの盗賊と何の違いもない。世の平和のために・・・・・・
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